本名題/花街模様薊色縫 通称/十六夜清心
河竹黙阿弥作の世話物。安政六年(1859)、江戸市村座初演。江戸城御金蔵破りの事件にからませていたので、幕府の命により三五日間で上演禁止となった。
あらすじ
鎌倉極楽寺の僧清心は、遊女十六夜となじんだため女犯の罪で追放される。一念発起して修行しなおそうと稲瀬川の百本杭まで来たが、清心を追ってきた十六夜が自分の子を宿していると聞いて入水心中を計る。しかし、泳ぎの得意な清心は死にきれなかった。そこへ通りかかった寺小姓求女(もとめ)が五〇両をもっていることを知り、求女を殺して金を奪う。悪の心が清心を捕らえてしまったのである。
いっぽう、俳諧師白蓮の白魚船に助けられた十六夜は、本名のおさよの名に戻って白蓮の妾となっていたが、清心の菩提を弔うため、諸国行脚の旅に出る。
たがいに死んだと思っていた二人は、偶然にも箱根で再会する。
鬼薊(おにあざみ)の清吉と名のって悪事を重ねていた清心は、おさよと連れだって白蓮の家にゆすりに行く。白蓮がしかたなく出した百両を見た清心は、その金が極楽寺から盗み出されたものだと気づく。
白蓮は、極楽寺の祠堂金三百両を盗んだ大盗賊大寺正兵衛だったのである。
そんなやりとりのなかで、白蓮こそ、清心が三歳のときに、神隠しにあって行方不明になった実の兄だとわかる。
やがて、清心に殺された求女はおさよの弟であることもわかり、清心は自害、おさよも死ぬ。
見どころ
大川端の出あいは清元による情緒纏綿たる場面で、見せ場、聞かせ場。清心と求女が出会うところの渡りぜりふは黙阿弥の七五調。
白魚船はかがり火が燃え、夏の江戸の風情が濃厚な場面である。求女を殺した後の清心が「しかし待てよ」と悪に変心する場面は、この芝居最大の見せ場で、薊のとげのように髪を逆立ててすごみを出す。
●名せりふ
清心/しかし、待てよ。今日十六夜が身を投げたも、またこの若衆の金を取り殺したことを知ったのは、お月さまとおればかり、人間わずか五十年、首尾よくいって十年か二十年がせきの山、つづれを纏う身の上でも金さえあればできる楽しみ、同じことならあのように騒いで暮らすが人の徳、一人殺すも千人殺すも、取られる首はたったひとつ、(中略)人の物はわが物と栄耀栄華をするのが徳、こいつあめったに死なれぬわえ。
この物語は、運命のいたずらとしか言いようがないなんと悲しい結末であろうか。悪いことをすれば、必ず自分の身に返ってくるということをしっかり覚えておこう!